2025/06/20 人は皆わが師

日本教育史に名を残す稀代(きたい)の教育者であった森信三氏をして「明治以降の我が国の教育史における『百年一出』の巨人」「超凡破格の教育者」と言わしめた人物が熊本の小学校教師の徳永康起(とくながやすき)氏でした。
徳永氏の没後、知人たちの手によって、語録『天意百語抄(てんいひゃくごしょう)』が出版されましたが、その中に「教え子みなわが師なり」という言葉があります。
「自分の身近に存在する人は、たとえ教え子たりとも自分に心のありかたや行動のありかたを教えてくれるとても大事な存在である」という、謙虚な受け止め方に氏の教え子への優しさが滲(にじ)み出ているのではないでしょうか。
日々の生活や仕事で多くの人に接し、時には相手の言動に腹が立つこともあるかもしれません。しかし、そのような時こそ冷静になって状況を見つめてみると、自分では気づかない大事なことを教えてくれていることがあります。
自分の周りにいる人たちは、自分にとってかけがえのない存在だと、改めて認識を深めていきたいものです。

今日の心がけ◆周囲の人から謙虚に学びましょう

どんなに劣悪な環境や不当な扱いも「自分の学びの機会」として内面化させ、文句一つ言わずに働く従順な労働者を作り出し、謙虚さを説くように見せかけ、従業員の思考を停止させ、都合よく搾取しようとする意図が見え見えです。
カルト怖い。

感想例
「教え子みなわが師なり」という言葉を初めて知りました。自分はまだまだ未熟で、先輩や上司の方々から教えていただくことばかりです。しかし、時には後輩の素朴な疑問や、自分とは全く違う視点からの意見に、業務の本質を改めて気づかされることがあるなと感じました。相手が誰であっても、これは自分を成長させてくれる機会かもしれない、という謙虚な気持ちを忘れずにいたいです。周囲の方々から様々なことを吸収し、少しでも仕事に活かせるようになりたいと思います。

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4 件のコメント

  • >「自分の身近に存在する人は、たとえ教え子たりとも自分に心のありかたや行動のありかたを教えてくれるとても大事な存在である」

    この言葉を実行し、実践しているのであれば、とても説得力のある言葉なのですが・・・・・・ねぇ?

    昨日の駄文はテメェらの事はテメェらで何とかしろ。俺は知らん的な話でしたが、本日の駄文は自分の周りにいる人達は、自分にとってかけがえのない存在なのだ、そうです。 あまりにも見事な掌の返しっぷりに手首が捩じ切れないか心配で、夜もぐっすり眠れますし、食事も喉を良く通ります。

    超凡破格の教育者が徳永康起氏であるなら、

    凡庸瑣末の教育本は職場の教養と言う事なのでしょう。

    職場の教養は“沐猴にして冠す”と言えますね。

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  • 今日の内容は信者に向けての内容であれば素晴らしいですが、職場の強要ですから、目下の者に強要する内容でしょう。

    「自分の身近に存在する人は、たとえ教え子たりとも自分に心のありかたや行動のありかたを教えてくれるとても大事な存在である」という、謙虚な受け止め方も素晴らしいですが、エセ倫理や信者たちには、もっと素晴らしい言葉があるではないですか。

    バイブルと称して、モーニングセミナーで唱和している万人幸福の栞。子女名優「子は親の心を実演する 名優である。子供が悪くて困るというとき、子供を責めずに、原因は親にあると自覚し、親自身が改めるとき、子供は自然に変わっていくのです」と。

    自分たちがバイブルと言っているものすら実践どころか、真逆のことをしている人たちに、ありがたい言葉を悪用されたくない。

    エセ倫理定番の言っていることと実態が真逆の強要内容でした。

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  • 謙虚に学びましょうとか多いけど、結局横暴な人はそんなこと気にしないから自分の正義振りかざしてのさばることは変わらず、謙虚な人はああはならないとは思うものの、その理不尽にさらされ続け、精神をすり減らしていく。

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