2025/06/14 触れる彫刻

彫刻家の重岡建治氏が今年2月に亡くなりました。
重岡氏は彫刻家の圓鍔勝三(えんつばかつぞう)氏に弟子入りした後、イタリアの彫刻家、エミリオ・グレコ氏に師事しました。帰国後は、静岡県伊東市にアトリエを構え、午前3時から鑿(のみ)を持つほど彫刻に没頭したそうです。
全国の自治体、企業から依頼を受け、どんな人とも公平に付き合いました。看板や冊子の表紙など、専門外の仕事も決して断らなかったそうです。
重岡氏は「触れる彫刻」を目指しました。人が作品に触れることを考えて怪我をしないよう彫刻の角を丸くするなど、作品には思いが込められています。
きっかけは美術館で子供が彫刻に触って叱られていた姿でした。触っても壊れず、怪我をしない、強度のある作品を追い求めて作り続けていくうちに、自然と「人と人との絆」が創作のテーマになっていったといいます。
私たちも、未経験の仕事も喜んで受け止め、成長し、独自性を見出したいものです。その根底には、人に対する思いやりが欠かせないのです。

今日の心がけ◆思いを込めて仕事に取り組みましょう

彫刻家が専門外の仕事を受けるのと、会社員が専門外の業務を命じられるのでは、その背景も意味も全く異なる。前者は自らの意思と責任で行う事業活動だが、後者は単なる業務命令であり、拒否権などありはしない。「触っても壊れず、怪我をしない」という重岡氏の作品への配慮を、「人に対する思いやり」という言葉にすり替え、「だから君たちも未経験の仕事を思いやりをもって引き受けろ」と繋げる論理の飛躍には呆れるほかない。これは、適切な人員配置や教育といった会社の責任を放棄し、従業員の善意や向上心にタダ乗りしようとする搾取の意図の表れだ。故人の素晴らしい功績を、従業員を安く、便利に使うための道具として利用する。これこそ「思いやり」の欠如の極みではないだろうか。

感想例
自分の専門性やこだわりだけでなく、相手の立場に立って物事を考えることの大切さを感じます。私の仕事も、自分の中では完璧だと思っていても、相手にとっては分かりにくかったり、使いにくかったりする「角」があるのかもしれません。これからは、独りよがりにならず、この資料は相手にとって見やすいか、この説明で本当に伝わるか、といった視点を少しでも持って、思いやりのある仕事の進め方を心がけていきたいと思います。

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3 件のコメント

  • 彫刻家の話と、最後の1〜2行と今日の心がけに繋げるにはかなり無理があるでしょう。なんか、マジにやっつけ仕事してるよね。
    1月分(ひとつきぶん)の「今日の心がけ」決めといて、文章「9割の話」部分は筆者の趣味だってことが当たり前になっている。
    老人は退いて、生成A Iに任せた方がいいって。

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  • せっかく良い話だったのに最後の最後で全部台無しだよ。
    故人であろうと話のタネにして食いものにして何が楽しいんだか…
    人に対する思いやりが欠けているとしか思えない!

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  • エセ倫理にハマり、仕事に対する「思い」が欠如した人間たちが、目下の者に対して仕事に対する思いを強く強要する。

    自分たちのやっていることと目下の者に求める内容が真逆のエセ倫理定番パターンです。

    自分たちのちっぽけな利益のために、故人の素晴らしい功績を人を騙すためのネタにするのもエセ倫理定番のパターン。

    だって、創設者の丸山敏雄でもネタにするような団体だからね。

    人に対する思いやりどころか、目下の者には何をやってもいいと思っている人間たちに思いやりとかありがたい言葉を言われたくないです。

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