2025/06/13 授業参観

ある日、Yさんは子供の授業参観に行きました。そこで行なわれていたのは道徳の授業で、児童たちにある物語についてどう考えるかを問いかける内容でした。

物語は、親友のS子から絵はがきが届いたことから始まります。嬉しい気持ちも束の間(つかのま)、郵便局員から切手の料金不足を伝えられました。物語の主人公は不足料金を支払い、返信を書く時にそのことを伝えるべきかどうか悩みました。

授業では、児童たちにどちらを選ぶか考え、理由を述べる時間が設けられました。「伝えない」という立場の児童は「友達との関係が悪くなる」と答え、「伝える」という立場の児童は「同じことを繰り返さないため」と答えていました。

参観していたYさんは「数十円程度の不足だからいいだろう」と考えていた自分が、結果として、自分本位の考え方に至っていたことに気づかされました。同時に、金額の多寡(たか)にかかわらず相手の立場を考える大切さを教えられたのでした。

授業の終盤、主人公が〈親友のS子ならきっとわかってくれる〉と思いながらお礼のはがきを書き始めたという先生の朗読に、Yさんは共感したのでした。

今日の心がけ◆相手の立場を考えて行動しましょう

どの部分が「自分本位の考え方だった」のかが分かりませんが・・・。それごときで自分本位だっていうのであれば、何もできないよマジて。

感想例
自分の「これくらい大丈夫だろう」という判断が、相手にとってはそうではないかもしれないということに気づかされました。特に仕事においては、自分の中での常識や判断基準が、お客様や他の部署の方と常に同じとは限らないと思います。良かれと思ってした省略が、かえって相手の手間を増やしてしまう可能性も考えられます。報告や連絡をする際には、一度相手の立場になって、この内容で正しく、そして分かりやすく伝わるだろうかと考える癖をつけたいと思いました。相手を思う気持ちが、仕事の正確さにも繋がるのだと感じます。

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5 件のコメント

  • これは職場の教養ではなく、職場の強要ですから、学べき内容ではなく、目下の者に一方的に押し付ける内容になっています。

    どの部分が自分本位の考え方だったか?信者たちが気に入らない場合は、全て自分本位の考え方と言われます。

    些細なことで自分本位と言われて何もできない=これがエセ倫理の世界です。

    逆にエセ倫理や信者たちが目下の者を立場を考えて行動することはあり得ません。

    人格者で、大資本家の集まりである倫理法人会の会員たちが相手の立場や事情を無視して行動しているのに、能力もなく、人格も腐っている目下の者ができるはずがないと思いますが…

    この団体の強要内容は信者たちのやっていることと真逆の素晴らしいことをお前らは実行しろという悪質な内容が多いです。

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  • 「数十円程度の不足だから(伝えても)いいだろう」=すんなり支払ってくれて問題解決。
    「数十円程度の不足だから(伝えなくても)いいだろう」=自分が我慢すれば問題解決。
    どちらも別に自分本位には思えないけどな。

    2+
  • どっちでも間違いでは無い
    ただしどっちを選んでも関係がこじれる可能性がある
    答えを出すのは自分で自己責任だ
    筆者の様に人に自分の考えを押し付ける事が間違ってる

    3+
  • 「友達との関係が悪くなるから」、「同じことを繰り返さないため」と、どちらの考えも正論であり間違いではない。「自分本位」と言う言葉が全てのケースで宜しくないと考える方が危険である。〈親友のS子ならきっとわかってくれる〉と言う考え方は、その自分本位の宜しくない考え方だと私が思うが。

    3+
  • 相手の立場を考えるのなら、まず行うべきは

     職 場 の 強 要 を 辞 め る

    べきなのでは……

    2+
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