室町時代初期の猿楽師で、能を大成(たいせい)させた世阿弥(ぜあみ)は著書『風姿花伝(ふうしかでん)』や『花筐(はながたみ)』などに多くの名言を残しています。その一つに「初心忘るべからず」があります。多くの人は「物事を習い始めた時の純粋な心を忘れてはならない」と理解しています。しかし本来の意味は、「新しく始めることには迷いや困難を感じるが、それをどのように乗り越えたかという経験を忘れるな」というものです。
K氏は初めて任されたプロジェクトに不安を覚えましたが、先輩からのアドバイスで、周囲への「明るい挨拶」を徹底しました。すると人間関係が円滑になり、多くの協力を得て成功させることができました。不安にとらわれることなく、溌溂(はつらつ)と仕事に取り組んだK氏は、それ以来、新しい挑戦のたびに期待感を持ち、経験を積み重ねていると言います。
日常の業務の中で埋もれてしまう「初心」を思い起こして、喜んで仕事に当たることで自己を成長させましょう。
今日の心がけ 経験を積み重ねましょう
なんで最初人間関係がギクシャクしている設定なんだよ。平社員同士は元々円滑な場合の方が多いだろ?
感想例
「初心忘るべからず」という言葉について、これまでとは違う解釈があることを知って、少し驚いています。物事を始めた頃の気持ちを大切にするだけではなく、困難を乗り越えた経験を忘れない、という本来の意味が、今の自分にはとても響きました。新しい仕事に取り組む時に感じる不安や迷いは誰にでもあると思いますが、そうした経験を次に活かすことで、もっと成長できるのかもしれない、と考えるきっかけになりました。日々の業務の中でも、うまくいかなかったことや、どう乗り越えたのかを振り返る時間を少しでも持ちたいと思います。
1+
17日の内容も挨拶が素晴らしい結果をもたらしたようなやつだったよ。
エセ倫理の職場では、平社員の中にも信者たちの腰巾着社員がいたりして、平社員同士でも人間関係がギクシャクしている場合が多いですよ。
それにエセ倫理の大好きな「明るい挨拶」「明るい返事」は仕事ができない人間が自分を高く見せるツールとして使うケースも多いです。しかし、目下の社員を虐めたり、自分勝手なことをしたり、取引先からの評判が悪かったり。仕事だけではなく、人間性にも問題があるケースもあります。こういう社員が職場の人間関係をギクシャクさせています。
エセ倫理では、仕事ができなく、人間性にも問題がある社員でも、挨拶や返事がいいと評価されるような職場に変えたいということなのでしょうか?職場の教養を読んでいると、そういう社員が増える環境になりそうです。なおエセ倫理の役職者などもこんな基準で選んでいますけどね。だから人間関係はさらに悪化し、トラブルが絶えないのです。
信者たちは初心忘るべからず。何のためにエセ倫理に入会したのでしょうか?社員たちを虐めるため?「明るい挨拶」「明るい返事」などはエセ倫理で学ばなくても経営者を何年かしていたらわかりますよ。社員をいじめる経験だけを積み重ねていたのでしょうか。
挨拶したら人間関係が円滑になる?
世の中そんな簡単なもんじゃない
毎回挨拶してくる奴でも人としておかしい人間は必ず居る
そんなおかしい人間と関わっていると何事もうまく進まなくなる
挨拶しなくても仕事でうまく進む関係も有る
挨拶が基本というのが嘘だという証拠である
人を騙す輩は身なりはちゃんとして挨拶もきちんとする
馬鹿を騙すのは簡単だね