「情けは人のためならず」ということわざがあります。これは、他人に親切にすればそれが良い報いとなって、結局は自分のためになるという意味です。 職場や家庭において、思い通りにならない状況が続くと、自己を正当化し、その原因を無意識に他者や社会に求める心が強く表われることがあります。 M氏はより良い会社を目指して業務改善に取り組んでいました。しかし、いくら頑張っても協力者を得られず、状況を変えることができませんでした。 次第に「私はこんなに頑張っているのに、なぜ協力してくれないのか」「頭が堅い人には理解できない」など、相手への責め心が強く表われてきたのです。 見かねた上司から「求めてばかりではうまくいかない。相手に何を与えたかが大切だよ」と諭された時、不安と不満ばかりだった自分を反省しました。 その後、心を入れ替え、挨拶を率先して行なうと共に、相手や会社の良い点を探し、褒めるように努めると、自然と理解者が増えていったのです。 思い通りにならない時こそ、相手に与える意識をもって取り組みたいものです。
今日の心がけ◆与える意識を高めましょう
文句を言わず、ニコニコと会社や上司に都合のいいことをしていれば、いつか報われる(かもしれない)から、見返りを求めずに尽くしなさい。
私を信じるのです。
ちーがーうーだーろー 話はタバコ部屋で仲良くなってからだ。
感想例
仕事をしていると、自分の考えをなかなか理解してもらえなかったり、協力が得られなかったりすることもあるかと思います。そんな時、つい自分の主張ばかりしてしまいがちですが、まずは相手の立場を少しでも考えてみたり、自分から何か手助けできることはないかと行動してみたりすることが、状況を変えるきっかけになるのかもしれないと思いました。私も、日々の業務の中で、小さなことでも良いので、相手に何かを与えるという気持ちを少しでも持って行動していきたいです。
相手から返ってくることを期待せずに行動ことが本当の親切や情けじゃないの?
M氏がやっていることはただ見返り求めることに必死な「下心見え見え」の行動です。
相変わらず内容のない話をダラダラと…
そもそもの「頑張っている」と言う行動の内容を分析する必要がある。
それがなく「不平不満を言わないこと」とか「率先して挨拶をする」とか、根拠のない解決法を語ったところで何も変わらない。
表面上の取り組みばかりなので、成果は出ないでしょう。結局、毎日同じことを繰り返している。「職場の教養」が最終回を迎えないのは、根本的な解決法を考えさせないところにある。
結末以外は信者たちの実態を表しているような内容でした。
信者たちは、職場や家庭において、思い通りにならない状況が続いて、自己を正当化し、その原因を意識的に他者や社会に求めています。そして、エセ倫理の世界にたどり着きました。
エセ倫理を「信じる者は救われる」と先輩信者たちから聞かされていたので、仕事を放り出してまで、エセ倫理に熱心に打ち込んでいますが、ハマればハマるほど他人への責め心が強くなっています。
そして、スーパーバイザーたちから「求めてばかりではうまくいかない。相手に何を与えたかが大切だよ」という倫理指導を受けて、自己中心的なことを押し付けて、自分は相手に何かを与えたと強く信じ込んでいます。
エセ倫理の世界では、他人にとっては迷惑極まりないことでも、相手に与えたことになります。そして、見返りは必要以上に求めます。この活力朝礼もいい例です。社員たちに「こんな素晴らしい朝礼や話を聞かせてやっている」と押し付けていまし、成果が上がらないのは「社員が役立たずだ」と思っています。
信者たちは他人に迷惑を押し付けているにも関わらずに、見返りを要求してきますので、結末とは違って、理解者はどんどんと減っていきます。
目下の者には聖人君子のような人間になるように求めていますが、信者たちの腐った人間性に磨きをかけているだけですよ。
「挨拶を率先して行なうと共に、相手や会社の良い点を探し、褒めるように努めると」
特に仲良くもない人物から急にこんなことをされると
(何か裏があるんじゃないだろうか)と勘ぐってしまいますね。