団塊、バブル、ゆとり等、世代を表わす名称はたくさんありますが、「世代」とは、同じ時代に生まれ、似通った考え方や感じ方を持つ人々を指します。
多様な世代の人だちと交わると、感覚のズレに戸惑うこともしばしばです。職場においては、このズレにより仕事に支障をきたすことがあるかもしれません。
かつては当たり前だったことでも今では考えられないような非常識なこととされていたり、反対に非常識とされていたことが当たり前になっていたりします。
異なる世代が協力し合っていくために大切なことは、良し悪しを頭ごなしに決めつけず、お互いが歩み寄って、理解を深めていくことでしょう。
そのために必要なのは、世代の異なる者同士が、①時と場を共有する機会を持つ、②共に同じことを行なう、これらを通じてお互いを知ることです。
本誌『職場の教養』を活用した朝礼は、挨拶・返事の実習や感想発表といったシンプルな行動を通してこれらを実現する場として活用することができます。
各々の世代の強みを発揮して、良い仕事を成し遂げていきたいものです。
今日の心がけ◆お互いを理解し合いましよう
そういう事だったのか。
明らかに世代が違う著者と、それ以外に分かれさせ、それ以外の団結力を高める為の本だったのですね。実はこの本は良い本だったのかもしれない。
感想例
「世代」について書かれた今回の記事を読んで、ハッとさせられました。私はつい、自分とは違う世代の人の言動に「なぜ?」と疑問を抱きがちでした。しかし、違いを頭ごなしに否定するのではなく、まずは理解しようとする姿勢が大切だと反省しました。先日、若手社員が提案してくれた新しい企画も、最初は「そんなやり方…」と内心思いましたが、やってみたら予想以上の成果が出ました。これからは、世代の違う同僚とも積極的にコミュニケーションを取り、お互いの強みを生かして仕事に取り組みたいです。
パワハラセクハラ当たり前の世代なんかに歩み寄る必要なんか無い
そんな輩に歩み寄ってはいけない
そんな相手には完全拒絶で良い
パワハラセクハラされたらそんな会社は何も言わずさっさと辞めて訴えれば良い
退職代行サービスでも使って自分から話さなくても良い
あぁいう連中は話しても変わらないし会話するだけ時間の無駄だ
ハラスメントという概念が無い人達に歩み寄るという事は、ハラスメントの一部を受け入れなければならなくなります。
歩み寄るというのは、そういう事です。
良いものは良いし、悪いものは悪い。
悪いものに歩み寄る必要は無いですね。
歩み寄りと言いつつ、どうせ押しつけてくるだけですよ。
世代とは、大体同じ時代に生まれた人々の総称であり、似通った考え方や感じ方と持つ人々を指すわけではありません。また、「当たり前なこと」と「非常識なこと」と言うような比較の仕方はよろしくないですね。異なる世代に良し悪しをつけてはいけません。
そして、最も重要なことは、お互いを知ることではない。まずは、高齢者が若者を理解しようとすることです。それは、たとえお互いに理解を・・・と言っても、高齢者側が「まず、若者が高齢者を理解してから」と重い腰を上げようとしないからです。そもそも、高齢者が「子供を作ろうとしない。そもそも、結婚する必要性を感じない。」という若者の気持ちを理解することはないだろう。
・「理解」することと「協力」することは別です。理解できても協力できない、したくないということはよくあります。
・多くの職場では各世代は対等な立場ではありません。上の世代のがより権限・権力のある立場についていることが多いです。上の世代(上司)は下の世代(部下)の理解も協力も得られなくてもいうことをきかせることができますが、下の世代(部下)が上の世代(上司)に対しては理解と協力がなければできないことが多いです。
・職場の教養を使った朝礼について自画自賛していますが、まったく説得力を感じません。
『職場の教養』を強要される朝礼は昔も今も、そして未来の世代にとっても「非常識」です。そこには世代間の違いはありません。信者であるか否かの違いだけです。
こんな朝礼を「当たり前」だと思っているのは信者だけでしょう。
とある信者さんブログからです
いつまでも 業務連絡中心の 仕事する前から疲れさせる 朝礼なんぞやらしている 経営者のセンスが問われるところ
とかいてました
仕事ですから朝礼は業務連絡だけで良いと思います
糞本使った朝礼なんか何の役にちないし
感想言わされるほうが疲れます
従業員の9割はイヤイヤ参加しているのを
気付いて欲しいです