春の彼岸に墓参をし、先祖供養を行なう風習は、日本独自のものだといわれています。その際の供え物に牡丹餅があります。
かつて、砂糖が貴重な時代には、塩で餡を味付けしていました。江戸時代になると、甘味料としての砂糖が手に入るようになり、甘い牡丹餅となりました。
そんな牡丹餅が棚から落ちてきたら何と幸運なことでしょう。「思いがけない幸運がめぐってくる」という意味の「棚から牡丹餅」ということわざです。
一方で「棚の牡丹餅も取らねば食えぬ」ということわざは、「自ら勣かなければ幸運はつかめない」という意味があります。
仕事をする際、〈うまい仕事が向こうから転がってこないかな〉と思うこともあるでしょう。しかし、牡丹餅の例でいえば、棚の上に届くよう踏み台を用意する、周囲の人々の協力を仰ぐなど、自らが考えて行動に移すことが大切です。
物事に取り組む際、創意工夫が必要です。ただ待つ受け身の姿勢ではなく、自らが幸運を手に入れるための努力をしていきたいものです。
今日の心がけ◆自ら考え行動しましよう
裁量が無い只の社員にとっての仕事の幸運って何ですかね。
指示されたていた仕事が無くなって暇になったとかそういう事ですかね。
感想例
目の前に牡丹餅が落ちてきたような幸運が舞い込んでも、それを掴む準備ができていなければ、意味がないということですね。これまで、私は与えられた仕事をこなすことに精一杯で、自ら積極的に行動することを怠っていたように思います。しかし、棚の上の牡丹餅を掴むためには、踏み台を用意したり、周囲に協力を求めたり、創意工夫が必要だと気づきました。これからは、ただ待っているのではなく、自ら考え行動し、幸運を掴めるよう努力していきたいです。
2+
単純に「棚から牡丹餅のようなうまいことは無い」って言ってしまえばいいのに。
あたかもタナボタもありそうな風に見せかけて「それを手に入れるには、自分から働きかけて」ってのは趣旨が違うんだよ。
働きかけずに幸運が手に入れば…って言ってる人に「それを手に入れるには、自分から働きかけて」って全然食い違ってて本質が分かってない。
こうして論旨をずらしていく手口ですね。
物事に取り組む際に、創意工夫が本当に必要だろうか。
最後の一行、「創意工夫」=「自ら幸運を手に入れるための努力」と取れるが、おかしくないか?