2023/10/20 原動力

戦後の沖縄県にあって、住民の心の支えとなった一人に、小那覇全孝氏がいます。歯科医だった氏は、琉球芸能の達人でもありました。
小那覇氏は、家族を失い深い悲しみに打ちひしがれる人々の家に、三線を持って出向き、「命のお祝いをしよう」と呼びかけました。
当然、地域住民からは「こんなに辛い状況の中で、お祝いとはどういうことだ」と厳しい言葉を投げつけられます。
しかし小那覇氏は、「亡くなった家族は、私たちがいつまでも暗い顔をしていて喜ぶだろうか。今ある命を喜んで、祝い、懸命に生きてこそ、復興していける」と慰め、三線を弾きながら、住民と共に歌い、踊ったのでした。
悲しみに共感するだけでなく、故人が迎えることのできない今日を受け継いでいる私たちだと、人々を励ました行動は、地域の人々の支えとなりました。
多くの尊い命が受け継がれて今日があります。当たり前の日常生活が送れることに感謝し、活力溢れる一日を過ごしましょう。

今日の心がけ◆今ある命に感謝しましよう

この本は、最後の「多くの尊い命が」より前の部分の”そういう事もあったのか”って小話だけで良いんじゃない? 「多くの尊い命が」以降の著者が読者に教えてやろうって所が毎回「何を偉そうに」って読者から反感を買うんですよ。


感想例
そういう所が日本人なのかなと思います。中東とかの数千年の恨みをいまだに引きずってるのとか、韓国の半万年恨むとか、日本ってそういうの一切無いと思います。原爆落とされても悲しい出来事として記憶はしているけど恨んでは無いと思います。終わった事は終わった事として、次に何をするかを考えるのが大事だと思いました。

7+

2 件のコメント

  • 筆者は、気を衒った話がお好きなようですが、現実的には非常識ですよ。
    非常識を常識のように語られると、信者が感心しちゃうみたいだけど。
    このような非常識な感覚が常識とされる職場は悲惨だと思いますね。

    3+
  • これ単純にかぞくがなくなったときの話じゃなくて
    >「どうしてこんな悲しいときに歌うことができるの?多くの人が戦争で家族を失ったのに!戦争が終わってからまだ何日も経っていないのに、位牌の前でどうしてお祝いをしようというのですか?」

    沖縄戦で人がなくなった時の話など考えるとだいぶ印象が違う。大事な情報を意図して抜いているのか

    3+
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