Kさんはこれまで、喜びを受ける人より与える人になる、そして喜びを与える人生を生きたという証を家族に遺していこうと心がけてきました。
現在、Kさんが取り組んでいるのは、家庭や職場で進んで手伝いをしたり感謝の言葉を伝えたりすることです。相手の気持ちを理解するために話をよく聞き、落ち込んでいる人に優しい言葉をかけることもあります。
このような実践を続けていると、自分も明るく快活になり、同様に相手の人も明るく快活になるのを実感します。何より、相手の人がイキイキと活気づいてくる様子を見るのは大きな喜びとなります。
自分の行なっていることはささやかなことであり、毎日できるとは隕らないけれども、これからも周囲の人に喜びを与える生活を続けていこう、とKさんは心に決めています。
Kさんはこの頃、喜びを与えることは愛を分かち合うことではないか、と思うようになりました。
今日の心がけ◆喜びを与えましよう
周りが気を使っているだけ。まちがいなくウザがられている。
感想例(笑)
自分の時間が空いている時や他の人が大変そうなときは、進んで手伝いをして全員で仕事を早くおわす事が出来る様にしたいと思います。誰かが残業していれば手伝いをしてみんなで早く帰る。そして時間があればみんなで飲みに行く事も出来ます。みんなと良く話をして悩みや喜びを分かち合い明日の活力へつなげていきたいと思います。(書いてて笑けてくる)
感想例(本気)
私が困ってた時にアドバイスをしてくれた先輩のように次は自分が後輩の話をよく聞きアドバイスが出来る様な人になりたいと思いました。職場全体にこの和が広がる様に頑張りたいと思います。(まだやり過ぎ感はありますがこの位で良いんじゃない?)
2+
自分だけで愛を感じたり感謝したりするならいいが、信者が誰かを対象に何かをするのはやめてほしい。正直、うざったい。
ありがた迷惑というのが一番厄介
本人はいい事をやってるつもりだから改善されない
こんな人にはハッキリとウザいと伝えるか距離を置くしかない
職場の教養に愛をとか、気持ちわりぃー!!!
吐き気がする!!!
早く滅びてください!
流石倫理法人会の信者
鬱陶しがられ嫌われてるのが自分でわからない
空気読めないやつら
頼むから消えてくれ
独りよがり。
他者が喜んでいるものと何故決めつけることができるのか。
仮に喜びを与える、分かち合うことに成功していたとしても、それを実行することを我々に押し付けるな。
単なる自己満足なだけの言動。
相手の気持ちも察することなく、ズカズカと入り込んできて、お節介なことをして、さも人助けをしたと勘違いしている、ただのバカ。
こういうことは、アホ信者どうしてやってくれ!