六月は雨が多い月です。旧暦では「水無月」といいますが、言葉の由来を調べていくと面白い発見があります。
「水無月」の「無」は「無い」ではなく「の」という意味で、「水の月」だという説があります。
その他にも、陰暦の六月は現在の六月下旬から八月上旬頃で、梅雨が明けて暑さで水が干上がる時節です。そのため、「水が無い月」だという説もあります。
あるいは、水のある無しにかかわらず、この時期は田植えが丁度終わりを迎えます。そこから「すべてが終わった」が、「みんなやり尽くした」となり、それが「皆仕尽」となり、「みなしづき」に変化したという説もあるようです。
昔の人は、生活の中に自然を身近なものとしてとらえていたのでしょう。水は、朝の洗面や日々の食事の支度に使うなど、暮らしの中に深くかかわっています。
私たちはその恩恵さえ感じなくなってはいないでしょうか。自然と寄り添つて生きた人々の昔に思いを馳せ、水を大切にしたいものです。
今日の心がけ◆水に感謝しましよう
A) 六月を旧暦では「水無月」という。
① 「水無月」の「無」は「無い」ではなく「の」という意味で、「水の月」だという説
② 陰暦の六月は現在の六月下旬から八月上旬頃で、梅雨が明けて暑さで水が干上がる時節です。そのため、「水が無い月」だという説
③ 田植えが丁度終わり、そこから「すべてが終わった」が、「みんなやり尽くした」となり、それが「皆仕尽」となり、「みなしづき」に変化したという説
A)で旧暦と言っているのに、①と③は新暦。その時点でその説は破綻しているんじゃないですかね。②の説しかないでしょ。
以前も書きましたが同じ事を書きます。
日本の水資源利用率は20%です。そのうちの農業用水が66%工業用水が15%飲料水は19%です。つまり、日本の水資源の4%が飲料水になります。蛇口をひねる回数を見直すより、水資源利用率を少し上げる工面をするだけです。慢性的に水不足になれば、80%の余剰分から利用するだけです。
感謝する必要はありません。
回りくどく水に感謝しろと書くより、素直に「水道代を節約しろ」と書いた方が反感を持つ人は少ないでしょう。
“したいものです”
これが一番ムカつく言い回しなんですよねぇ。どの目線で語ってやがる。
“いかがでしたか”で終わるいわゆる「いかがでしたかブログ」と変わんないっすよ。
言葉の由来を調べていくと…と書いてあるけれど、「水無月」で検索するとすぐに出てきます。
そのまんまです。
個人的には「田んぼの中干し」かなって思ってました。
ま、どうでも良いことです。
水が暮らしの中に関わっているのは、誰もが感じていることですから。
いちいち言われると、ため息しか出ません。
(もう、いい加減にしてほしい)
水を大切にしたければ、いちいち言わないでいいから。
勝手にありがたがっていなさいよ。
今日の心がけ◆水に感謝しましよう
幼稚園児か!
調べる努力をしなくても、ネット検索で複数の説があることはすぐわかる。
大昔の人が川の水を生活用水としていたのは子供でもわかる。
水の恩恵を感じなくなっているからと、大昔の人々に思いを馳せる意味がわからない。
そんなに水を大切にしたいなら、金庫にでもしまっておきなさいよ。
ところで、面白い発見って何だ。何を発見した?
困った時の感謝やな
水に感謝する
じゃぁ水害があった時信者は
お水様有り難うございますと言うんか
何処のコピペですか?
6月を水無月という由来はいくつかあって、結局、真実はわからないということのようです。
それでは教養とはならない。とことん調べて欲しいものだ。
しかし、昔の人が6月の呼び方として「水」という字が入っていたからといって、「生活の中に自然を身近なもとして…」と捉えるのは飛躍しています。
そして、その恩恵を感じなくなったという勝手な決め付けはいかがなものでしょう。
極め付きは、「昔に思いを馳せ、水を大切にしたいものです。」と言い出す始末。
水は大地と川と海と空を循環してこそ我々が活用できている。
使ってからこその自然の恵みであると思う。
ところで、面白い発見とはどこに書いてある?
いくら読んでも、どこにも見当たらないんだけれど。
水や亡き父に感謝するくらいなら、俺らに感謝してくれよ。
そだね
感謝する相手を間違えてる
亡き父に喜ばれるとか水に感謝するとか、その前に従業員に喜ばれる存在になり、従業員に感謝すべきでしょ
それが一切ないのが職場の教養です。
水は、人の役に立てて感謝していると思いますよ。
しょんべんは水ですか?