秩序を守り、好ましい人間関係を築いて、お互いが仲良く生活していくためには、倫理道徳があります。そのポイントになるのが、思いやりです。
会社員のAさんは、同僚のBさんから辛辣な言葉をかけられ、原因が思い当たらず困惑していました。その様子を見ていた友人は、「もしかしたらBさんは、何か辛いことがあって悩んでいるのかもしれないね」と言うのです。
翌日、半信半疑でBさんを食事に誘いました。すると、「昨日は嫌なことを言ってごめんなさい」と謝られたのです。
そして、親の介護が大変な中、兄弟が協力してくれず、Bさんの負担が大きくなり、余裕がなくなっていたことを話してくれました。
思いやりとは、自分に向かいがちな目を相手に向け、相手の立場になって考えることです。人を思いやることは、人間関係を円満にするだけではありません。自分本位な心を抑える自己鍛練にもなります。
その後二人は、お互いを思いやり、心から信頼できる間柄になったのです。
今日の心がけ◆思いやる心を養いましよう
「その後二人は、お互いを思いやり、心から信頼できる間柄になったのです」友情、努力、勝利ですか? 戦いはこれからですか? ww
あと、仲間になったと思っていてもその内また辛辣な事を言われます。不安定なBさんだと思います。
4+
思いやりがあったら「梅干し」なんてお題を出すな。
全国の非信者が困っただろ!
今回の文章は…いつも通り、ごく普通なことを大袈裟に書いている小学生低学年対象の昔ながらの「道徳」っぽい文章だ。
「その後二人は、お互いを思いやり、心から信頼できる間柄になったのです。」
既にお気付きでしょうが、フィクションです。
いや、嘘っぱなしです。
辛辣な言葉をかけた奴を、次の日に食事に誘うか!!!
「自分本位な心を抑える自己鍛練にもなります。」
趣味で職場の教養を書いている奴が何を言う!!!
あからさまな作り話でお腹がいっぱいです。
普段から職場の風通しがよく、忌憚ない会話ができるような状況であれば、
Bも自分の状況を他の人に伝えることができたのではないでしょうか?
要は、そういうこと意ができないような職場環境だったと意いうことです。
そもそも、他人を思いやる心があれば、朝から珍文奇文駄文の類を大声で読ませて、
あまつさえ教義に沿った感想を強要することはしないはずです。
つまり、思いやりの心に一番欠けているのは倫理呆人会と信者なのです。
非信者に対して迫害を加えている倫理呆人会と信者は、一刻も早く地上から消え去るべきです。
Bさんが謝ったのは辛辣な言葉をかけたAさんに対してではなくて、それを見ていた友人(なんでCさんにしないのか謎)にでしょ?
結局Aさんは八つ当たりされてそれっきりじゃない?
Aさんは仕事が出来ないどうしようもない同僚だから八つ当たりの道具にする。
友人には好かれたい(心配してご飯奢ってくれる)から全く違う態度で接する。
Bさん加害者なのに、まるで仕方ない事情があったかのように描かれて、Aさんただの被害者で可哀想。倫理も道徳も無いわ。胸糞。
何の根拠もない友人の一言は、思いやりのある言葉とは思えない。
Aに思いやりを強要しているようでもある。
何の根拠もない友人の一言を聞いたAの大胆とも言える「食事の誘い」で、Bが「何で食事なんか誘うの?お前、頭おかしいか。人の気も知らないで。何様だ!」なとど反応されたらどうする。
友人とやらを恨むわけもいかず、自己嫌悪に陥る。
そもそも、その友人とは心から信頼がおける間柄か?
そもそも個人的な事や感情を会社まで引きずるなと思うんですけど。
自分に非がないのに辛辣な事言われても「何かあったのかな?」って考えなきゃいけないっておかしくない?
周りに気を遣わせるのはどうかと思う。
思いやる気持ちあるなら
こんな本を使ったキチガイ朝礼を強要するな
結果的に、「その後二人は、お互いを思いやり、心から信頼できる間柄になったのです。」となりました。
と言うことは…Bの話を聞いたAは、Bの親の介護を手伝い、Bの兄弟に協力を依頼し、Bの負担を減らしてあげたことになります。
相手の立場になると言うことは、そう言うことなんだと想像できます。
思いやり、相手の立場に立つ…簡単に言うけれど、自己犠牲を伴うことが十分に考えられます。
自分の人生の一部を相手に与えることができる覚悟があれば、どうぞ実行してください。
まずAとBがその後信頼し合える間柄になりましたって話の要因がイマイチ物語から見えて来ないんだよね。
Bが一方的に理不尽な絡み方をしたのであって、Aに初めから非なんてないわけだし。
友人(C)が飯奢った程度でそんなん改善されんでしょ?ダメなことはやめなよってハッキリ伝えなきゃ。
思いやりが欠けてるも何もプライベートのストレスを関係ない人にぶつけたって話なんだから、大事なのは八つ当たりしないことでしょ?
どうも筆者はBにも事情があるんだから、Aはそれを理不尽に思わず相手を思いやって赦しなさいという方向に誘導したいように感じるんだよね。
それってBに対して甘くない?ある意味パワハラやモラハラの擁護とも見てとれますよね?
最後の教養の語りは友人Cのモノローグなんだろうけど、これ下手にBの肩もっちゃいけない案件ですよ。
仕事上の都合や、仕事が出来ない事情には、チームや会社は合わせる義務があるだろうけど、残業なしとか半日で帰らせてもらうとか、会社には出来てその程度だし、でもあまりにも頻度が多ければ評価や期待も仕方なく下がるんだよ?
結局家庭を治められない人が、職場を治められるわけないんですって。
我慢しろとは言わないけど、身の程を知ったほうがいいと思う。
介護が大変な社員に対してはワークライフバランスの確保以外に道はないので、思いやりなんてほざいてないで余裕つくれやって思うし。
残業ありきの余裕の無い会社で、それが無理なら介護の方を犠牲にするしかないね。
もうさっさと天寿全うしてってね。
まぁとにかくgdgdの危ない会社や危ない家庭の人は何してくるかわからんから距離を置くことやあまり信頼せんことが大事よね。
よくよく読んだら友人は「何か悩んでるのかもしれないね」と言っただけで、飯に誘ったのはAさんだったのね。
ていうかまずその時点でありえん話だと思うわ。
Aさん慈悲深いともいえるけど、怖いもの知らずともいえる。
でも悪態つく人に成功体験を積ませちゃいけないって結論は変わらないなー。
Aを模範にしなさいというより、Bのようになってはいけないという話がまず必要。