Nさんは、沖縄の祖母から毎年「サン」と呼ばれるお守りをもらいます。
ススキやバショウの葉を結んだだけの簡単なもので、貰っても嬉しく感じなかったNさん。そんな思いを察してか、祖母がその由来を話してくれました。
その昔、沖縄の人々は食べ物が腐るのを「魔物(マジムン)」の仕業だと信じていました。魔物によって食べ物の精気が奪われぬよう、まじないの力を宿すために葉を結び、魔除けとして食膳の傍らにおきました。
今では食べ物の精気を保つために用いられるだけでなく、枕元に置いて悪夢を退けるため、また、畑や家を守るための厄除けとして用いられるなど、手軽な魔除けとして親しまれています。
Nさんはこの話を聞いて、お守りの由来を知ると共に、祖母の真心を受けとったのです。さらに、シンプルなそのお守りの作り方も教わったのでした。
物の由来を知ることで、そこに込められた人の想いを感じることができます。今では、お守りへの愛着が増しているのを実感しているNさんです。
今日の心がけ◆物の由来を知りましょう
サンってこれですね。
今まで知りませんでした。勉強になりました。
これで良いんですかね。
いやいやw、今見渡せる範囲にある物で由来が分からない物ってどのくらい在りますか? 多分9割以上分からないですよね。
今、目の前に、液晶ディスプレイ、キーボード、マウス、スマホ、ポケコン、本、六角レンチ、電話、メガネ、サーモスのコップ、エリエールのティシュー、ワイヤレスイヤホン、ソリッドステートリレーが在りますけど、由来が分かる物ってありますか?
自分が知っている範囲だと、液晶ディスプレイのザックリした構造、キーボードのキー配列の理由、活版印刷うろ覚えの歴史、ポケコン(Z80)にアセンブラでプログラミングした遠い思い出、電話のうろ覚えの歴史、ソリッドステートリレーの構造、位です。
で、分からない物の由来を片っ端から調べれば良いの? 真心がこもってそうな物に当たりを付けて調べれば良いの? Z80は真心がこもっているかどうかをどうやって判断するわけ?
この糞本もそうですし、アホ上司もそうですが結果が分かってから物を言うんです。「サン」の意味を知ったから愛着が出たという偶然の一例を出して、じゃ物の由来をもっと知れば愛着はもっと出るだろうという非現実的な発想に至るんです。今私の目の前にある何個かの物の由来を調べるだけで何年かかるか分からないですし私の能力では理解できないでしょう。
ちなみにこのサイトはレンタルサーバーにWordPressインストールして使っていますが、歴史も知りませんしネットワークの知識もありませんしPHPも理解してませんが愛着は在りますし使えます。
「物の由来を知ることで、そこに込められた人の想いを感じることができます。」
それがなんになるんでしょうか?くだらない。
長年Windowsを使っており開発の由来とかも知ってますが、ビルゲイツへの想いは感じられませんね。
むしろ最近のWindows Updateがクソで愛着がわきません。あまりにクソな品質で投げ捨てたいぐらいです。
愛着を持って長く使うことを良しとするなら、自動車税の重課をやめるようクソ自民に教団から提言でもしてくださいな。
無駄な事をさせようとするなー、職場の教養は。
信者は真に受けて色んなことを調べるのか?バカなのか?
そもそも「職場の教養」が、コピペ由来集みたいなものだけど、愛着が湧かないんだよね。
倫理法人会は、「物の由来を知る」指導をすることが職場の教養となると本気で考えているのか?
「物の由来を知る」ことで、そこに込められた人の想いを感じることができると本気で考えているのか?
倫理法人会・・・変異ウィルスで脳みそ侵されクラスターが発生しているんじゃない?
宗教には偶像崇拝という言葉があります。
お守りや絵画、建物や像など、確かに作った人の想いや感性が込められているのは確かですが。
基本的に神や仏や霊にしろ、そこに居るわけではないと考えなさいという教えが、キリスト教にしろ仏教にしろあります。
加護というのは魂で感じるものであり、心構えというのが一番のお守りです。
母からの愛情や肯定感を受け止めることは大切です。
お守りは愛していることの証明みたいなものです。
お守りが効くか効かないかなんて考えてる時点でダメなのです。母からの愛を受け止め大切にするか、それが一番大切なのです。
それから母からの愛を大切にするのであれば、倫理法人会からの洗脳から脱するべきです。
こんなクソ宗教に洗脳されて、自己否定の毎日を送る事は親からの愛に対する裏切りになってしまいます。
さぁ今こそ、倫理法人会やその信者企業の中に潜む魔から、愛のために抜け出すべきなのです。
わたしもハッとして由来を調べました。
倫理法人会=倫理研究所の由来は、PL教と同じひとのみち教団です。
ひとのみち教団教祖が信者の娘をレイプし、その後解散させられPL教や実践倫理宏正会らに別れました。
ルーツが明確に宗教であり、始祖が宗教家であり、さらにその教えを引き継ぎ非科学的な原則・真理を唱えているのにもかかわらず、宗教ではなく社団法人と言い張り、経営者同士の付き合いの力関係から経営哲学・倫理だと宗教を巧妙に職場に持ち込み、職場の教養などという質の悪い文章を載せた冊子熟読と感想、気味の悪い悪い朝礼を強制し、布教・洗脳を堂々と行い続け会員数を増やしているカルト教団です。
そうだ、倫理法人会の依然見つけて成り立ちもどこかに詳しく書いてあって忘れていたのだけど、調べなおして見つけました。
倫理法人会の始まりは千葉県倫理法人会だそうで、
そのホームページに成り立ちが色々書かれています。
滝口長太郎という実業家が
船橋市商工会議所で、自主的な勉強会である「船話会」を結成し、月1回定期的に例会をもっていたところ、話会の会員で、倫理研究所、市川支所の婦人部長であった時田ケイさんが、顔を合わせる度に、倫理の勉強を熱心に誘うので、ついに長太郎さんも根負けして、義理的に1日だけ出席。そこで「「わあ!長太郎さんだ」などと信者におだてられ気をよくして、万人幸福の栞の内容を学び続け、すっかり倫理研究所にドはまりしたそうです。
こうして毎朝通い狂信者となった長太郎さんは
『昭和55年当時、純粋倫理の精神を企業経営に導入すれば、必ずや、企業が繁栄し、社員とその家族が救われ、地域が明るくなると確信し、「倫理法人会」組織の創生に献身、その基礎を確立』
したそうです。
長太郎さんは青年会議所での講演の際も理事長に対して「時間があるか?」と誘い「凄いものにであった!」「よくわからないが、何となく凄いものだ、一緒にやらないか?」と、朝5時からの家庭倫理の会に誘ったそうです。
こういう地元で付き合いがあり幅を利かせている経営者に誘われたら断りにくいですよね?そして理事長も倫理研究所にドはまりし狂信者になりました。
その後、こいつらが「良い勉強会だから法人だけ集めてやりたい」と言って倫理法人会を設立します。
まじでさあ、このごみ共が朝勝手にやってるのはいいよ。職場内で非信者に対して強制するのは絶対やめろ!!!
信者は「よくわからないが、何となく凄いものだ、一緒にやらないか?」みたいに思うかもしれないが非信者は
「は?言ってること無茶苦茶だし、こんなものにのめりこむなんて気味悪いよ。」なんだよ!
それを職場のパワーバランスを利用して布教するなど言語道断!他の堂々としたカルト宗教団体よりもたちが悪いよ!
そういう意味では倫理研究所は勝手にやってるならいい。諸悪の根源は非信者に強制する最悪な団体倫理法人会だ!
というのが由来鵜調べて、色々整理出来てよくわかりました。
お守りが要らないのだったらはっきりと要らないと言うべきですね。
本当は欲しくないの、者の由来などでに自分を納得させてるんじゃ無いの?
宗教あるあるですね! 僕の名言:(神が人間を作ったのでは無い。人間が神を作ったのだ)この言葉を倫理法人会に送りたい
不利益を受けた時ですら感謝するべきって言ってたのに、今回の被験者は施しを受けても感謝どころか嬉しく思ってなかったって酷くないですか。
この調子だと、いい大人にしてお菓子の方が良かったガキンチョと同レベルなんですが。
シンプルなお守りというかシンプルなゴミ。