M氏は昨年の夏、真夏でも豊かな雪渓を臨める谷川岳の一ノ倉沢を訪れました。
この絶景の地は、谷川岳ロープウェイ・土合口駅から約三・三キロ先にあります。現在は一般車輛の通行が禁止となっているため、この場所には一時間ほど歩いていく方法と、定員八名の電気ガイドバスに乗る方法とがあります。
歩きが苦手なM氏は運よくバスに乗れましたが、目的地に着いても帰りの乗客が待っていると、復路のバスに乗ることができなくなる可能性があります。
〈たぶん乗れるだろう〉とM氏は安易な気持ちでいたのですが、目的地に着くと、帰りのバスを待っている人は数十人いて、列を作って並んでいました。
大自然が造る壮大な景色を満喫したM氏でしたが、結局、復路のバスには乗れず、仕方なく歩いていました。すると、はつらつとした明るい挨拶をしながら登ってくる人たちがいました。
この元気のよい挨拶を聞いた途端、不満は吹き飛び、力がみなぎり始め、気持ちよく駅に着くことができました。M氏は挨拶の効用を改めて確認したのです。
今日の心がけ◆明るい挨拶に徹しましよう
会社で空気を読まないで大声で挨拶をする新入社員がいるんですが、なんか親しくなれないんですよ。空気を読んでないから。最初は良いですけど2回目から空気を読むでしょう普通。場所に応じて変えないと。コンビニとかで偶然合って明るい挨拶されたら引くでしょ。
6+
百歩譲って、気持ちの良い挨拶をされたからちょっと前向きになった
ぐらいの事だったらわかるんですが
「不満は吹き飛び、力がみなぎり始め…!」ってどんだけなんですか。
ていうか、そんぐらいですぐ不満に気持ちが揺れ動く心の狭さ。カウンセリングが必要でしょう。
毎度毎度、日本語の使い方おかしいでしょう。
明るい挨拶に「徹する」って何?
信者はこれから毎日、明るい挨拶に徹するの?
私には挨拶しなくて良いからね。
そもそも、歩くのが苦手な人が谷川岳に行くなよ。
大自然を満喫したいけれど、「私、歩くの苦手です。」って、そんなバカな。
たかが1時間でしょ、私もハイキングが好きで毎週日曜日に3時間程度山歩きしていますよ。
自然を楽しむって、それくらいの歩きは当たり前です。
仕方なく歩くと言うなら、谷川岳に行くな。
はつらつとした挨拶ってやつができるようになったら行きなさい。
人の挨拶を聞いて気持ち良くなるな。
気持ち悪い。
最後の1行だけれど、「すれ違い時の明るい挨拶により、疲れていた気分が癒されました。」的な文章で良いと思うけど、何故か「・・・効用を確認した」とわざと難しい表現にする?
どうしても大袈裟にして「教養」としたいのか。
もう、いい加減にしろ!
明るい挨拶に徹する?
挨拶は何でもかんでも明るく徹すればいいってもんじゃなく、状況に応じて対応を変えるべきものなんだよ。
葬式の時も明るい挨拶するのか?
職場の教養は滅茶苦茶だな。
飲食店等で不必要にデカい声で「いらっしゃいませー!」って言うやつ、苦手な人の方が多いらしいよ。
場に適する対応って言うのが必要だけど、信者は空気読めないからなぁ。
今回の問題は〈たぶん乗れるだろう〉←これだろ
無計画さを挨拶で吹き飛ばそうって…
バーのマスターに明るく挨拶されても嫌なんだけど。ハードボイルドに「…らっしゃい」くらいがちょうどいいんだけど。挨拶の使い方知らないの?バカだなー。
効用?科学的に証明されたものですか?
薬事法などでわかるようにできないのに効用という言葉は使ってはいけませんから。
歩きが苦手?
自然を甘く見ないように!
安易な気持ちで山に登らないように!
登山は登り優先が基本です。
山での挨拶は登る側のタイミングでします。
登りは息が切れているので、下る側が合わせます。
それでも登る側が挨拶しなかったら、下る側は会釈だけで良いです。
逆に下る側が挨拶してきたら、登る側は会釈だけで良いです。
平日の登山でも明るい挨拶に徹すると疲れますが、休日登山で混んでいる中、都度、明るい挨拶されたら大自然を満喫するより「挨拶という義務」で楽しくなくなります。
職場でも明るい挨拶に徹することが優先になったら大変ですよ。
職場で教養を語るなら、まず筆者自身で登山・ハイキングを経験した方が良いでしょう。
倫理法人会(倫理研究所並びに筆者)は、「今日の心がけ」が蛇足であり不必要であることに気付いて欲しい。
9割コピペ(又は作り話、又は嘘)であり、最後の1行で偉そうな(理想、空想)文書いてドヤ顔するのやめて欲しい。
歩きが苦手ってバカかよ。なら山登るな!
数十人並んでるって、8人乗りなのになんでそれ以上並ぶんだよ!バカばっかりかよ!
作り話がひどい!