2020/02/06 報告とお礼

Fさんは、人が生きていく上でとても大切なことを教えてくれた父に、感謝しています。それは、今から三十年前、Fさんが大学入試に失敗した時に、父がかけてくれた言葉です。
入試の年の正月、Fさんは、学問の神様として知られている神社へ合格祈願のお参りをし、試験に臨む決意を新たにしました。しかしながら、結果は、受験した三校とも不合格でした。
今後の考えがまとまらず、部屋で手持無沙汰にしていると、父が「神社にはお礼に行ったのか」と聞いてきました。Fさんが黙っていると「たとえ不合格でも報告をしてお礼を言いなさい」と言ったのです。
父は、結果がどうであれ、けじめとして、きちんと後始末をすることは、人としての務めであることを示したのです。
〈不合格の時もお礼を言うのか〉と思っていたFさんが、父の言葉の意味を理解したのはずっと後でしたが、今では人生の道標の一つとなっています。

今日の心がけ◆後始末を心がけましよう

そもそも合格祈願以前にFランク大学3つも落ちるってどうかしてますよ。

そして、どう考えたって著者は意識してますよ。知り合いか信者の話を元にしているにしてもバカにしてますよ。偶然”Fさん”なんて使うわけがない。

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22 件のコメント

  • ”父の言葉の意味を理解した”部分のエピソード書かないと
    何の話?ってなりませんか。文章下手すぎないこの本。

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  • これまた宗教臭プンプンの内容でみんなのツッコミが楽しみだ。
    この内容では否定的な感想しか思い付かない。
    人生の道しるべとなる様な事がどの事を言っているのかサッパリ分からないし、不合格のお礼と言うわけな分からない言動、参拝を後始末と結びつける事の全てがおかしいし、神社への参拝と言う気持ちの問題を言ってやらせる事はただ振りをさせるだけの無意味な行動だし、今回の様な無感受性の相手(神社)へのお礼や報告は有神論者の自己満足以外の何物でもないし、それを人にやらせる事は無神論者から見ればかなり滑稽な事だ。

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  • 今日は「後始末」の日です。

    どう考えても、私が認識している意味と乖離があるようです。
    後始末とは、「以前のような何もなかったものと同様にする(戻す)こと。」または、「尻拭い。」だと思います。
    しかし、倫理法人会は、以前よりも(何か限定するわけでもないが)より良くなっている状態のことを言っているようです。

    「神社に後始末しに行ってくる。」と言われたら、祭りの後片付けだと思いませんか?
    まさかの「お礼参り」です。
    この「後始末」と言う違和感があり不自然な言葉を使っていますが、はっきり言いますね「後始末」と言う言葉は、気持ち悪いので使わないでほしい。

    また、人生の道標になったのがどの部分なのか…よくわかりませんでした。
    後始末を心がける?・・・難解案件だ。

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      • 確かにFさんと書いて匂わせ、揶揄していますけど文中にはFランク大学だとは書いてないですよ。
        名前書いて学費を払えば入学出来るのがFランですから。

        YOUTUBEで見れますが、ダウンタウンの浜ちゃんの母校はワッショイ連呼で絶叫しながらトイレを素手で掃除させる
        凄惨なスパルタ校でしたが、OBのその後の進路は…(笑)
        少なくとも進学には無縁なセレモニーを耐え抜いても進学は出来ないということですね。

        私は職場の教養の活力朝礼は、日生学園の心行(しんぎょう)を連想してしまうのですよね。

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  • お礼参りって願いが成就した時に行うものなのに、不合格でお礼って表現が宗教臭くてどう考えてもおかしい。

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  • 「後始末」と言う言葉を使いたくて、大切、感謝、決意、報告、お礼、けじめ、きちんと、務め、言葉、意味、人生、道標、心がけ・・・を組み合わせて文章を作ったようです。

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  • ゴミ
    何の話してるのか全く理解できない。
    小説家にでもなったつもりか?
    こんなゴミみたいな信者にしか理解できない文章を読ませるなら、活力朝礼も信者だけでやってください。

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  • 「後始末」も丸山敏雄がハゲながら思いついた宗教用語なんだろ?「丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則」に出てくるよ。「万物幸福の栞」にもそう書いてあるんだろ?心の空所もそうだったね。
    丸山独特の宗教用語の意味合いで使っているもんだから、一般の人は通常の意味での「後始末」で考えるから唐突に出てきているように感じて意味が分からない。

    信者にしか伝わらない駄文。
    職場を布教の場にするな!!
    丸山敏雄のハゲた宗教用語を多用し押し付けている事で、倫理研究所、職場の教養が宗教だということを証明できそうですね。

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    • 丸山のハゲの前身は「ひとのみち教団」つまりPL教ですね。
      そして逮捕後、「教団」に対する反省を記し「上申書」を提出、その後倫理運動を創始しています。
      ここでなぜ「倫理」を使い始めたのかというと
      『丸山敏雄は発掘した生活法則を、「純粋倫理」あるいは「実験倫理」「新しい倫理」などと呼んだ。
      仏陀(ブッダ)はもともと宗教の教えを説いたのではなく、人間の生きる道、すなわち倫理を説いたのだと説く仏教学者・増谷文雄の論考にヒントを得たことから「倫理」という呼称を用いた。』
      と、丸山敏雄ウェブ(倫理運動の軌跡)に書かれています。
      つまり、「宗教」で逮捕されたことによって「倫理」と言い換えてハゲながら布教し始めたわけです。
      「宗教」≒「倫理」=丸山の教え。
      まさに宗教じゃないですか。ハゲ!

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      • 色々丸山ハゲ周辺について調べてみると面白い。
        丸山が「ひとのみち教団」時代、WEBサイトに堂々と誇るように記してある「不敬罪」で逮捕された前年、師事していたとされる『ひとのみち』教団の御木徳一始祖が「数名の処女を宗教的暗示によってだまして犯したという犯罪」で逮捕されている。(wikipediaによるとひとのみち教団盛岡支部長の娘を強姦した容疑)
        いわゆる「ひとのみち事件」ソース⇒http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067683&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
        ここでは関係者一同と共に検挙されたと書いてあるが、丸山はこの時点で「准教祖」に任命されているはず。
        関係者一同が一体だれか?組織的犯罪じゃないのか?

        ひとのみち事件で検索すると倫理研究所が「ひとのみち」教団弾圧事件の考察 とか上げてるけど、この強姦事件については触れないんですか?(笑)

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        • なんどもすみません。
          新聞のアーカイブ(http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html ひとのみちで検索)でひとのみち教団弾圧について調べていたら、ある事実がわかりました。
          「果然、痛烈な大弾圧 本殿竣工式を前に覚醒を促す当局 数々の不正事実摘発さる」(大阪時事新報 1934.10.25 (昭和9))http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067468&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

          ここで宗教ぐるみで数々の不正が指摘され(夫婦陰陽の道を高調し、未成熟者、老男女疾病を問わずこれを半強制的に行わしめていること 等詳しくは記事で)

          「“ひとのみち”本部へ断乎!閉鎖命令下る 神仏道教会所規則により文部省から通達 きょう?正式に手交」(大阪時事新報 1934.10.25 (昭和9))http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067468&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
          で、「准祖など十数名が不敬罪の容疑をもって検挙」(おそらく丸山)と記述があります。

          前者の方の記事で「大阪府警察部ではかねて同教団に鋭いメスを入れ、これが解剖に躍起となっていたが、この程完全なる調査がなり警察取締上放任し難き点(先の、夫婦陰陽の道を高調し、未成熟者、老男女疾病を問わずこれを半強制的に行わしめていること が宗教なのか犯罪なのか証明がむつかしい?)」とあることから、警察は組織的犯罪集団とにらんでいたものの逮捕・検挙できずにいた。だが教祖を強姦で立件し、そのほか不敬罪で逮捕して警察は教団を弾圧ということだと思います。

          なので、丸山逮捕の本質は決して「不敬罪」による宗教弾圧ではありません。「不敬罪」はあくまで組織解体の為。変態カルト集団ひとのみちへの、オウム真理教と同じような弾圧なのです。
          オウムで例えると、倫理は上祐が作った光景宗教団体のように思えます。
          丸山も上祐のように、宗教への反省と見直しを基に倫理という新しいものを立ち上げたといっているが、教義はひとのみちを受け継いでいる。

          そもそも大本教の弾圧と違い、教育勅語がその教典の一つになっているひとのみち教団が不敬罪で目を付けられることはない。これはいろいろなところで語られている。

          倫理研究所は「不敬罪」という宗教弾圧で逮捕されたと嘘をつくな!変態カルト集団の一員で逮捕されたんじゃないか!

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          • 本と何度もすみません・・。リンクと記事名間違えてました。
            上の記事が

            『ひとのみち教団』へ
             果然、痛烈な大弾圧
            本殿竣工式を前に覚醒を促す当局
            数々の不正事実摘発さる
            (大阪時事新報 1934.10.25 (昭和9))

            下の記事が

            “ひとのみち”本部へ断乎!閉鎖命令下る
            神仏道教会所規則により文部省から通達
            きょう?正式に手交
            (大阪朝日新聞 1937.4.16 (昭和12))

            この間2年半。警察とカルト宗教の戦い

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        • なんどもすみません。
          新聞のアーカイブ(http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html ひとのみちで検索)でひとのみち教団弾圧について調べていたら、ある事実がわかりました。
          「果然、痛烈な大弾圧 本殿竣工式を前に覚醒を促す当局 数々の不正事実摘発さる」(大阪時事新報 1934.10.25 (昭和9))
          http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067468&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

          ここで宗教ぐるみで数々の不正が指摘され(夫婦陰陽の道を高調し、未成熟者、老男女疾病を問わずこれを半強制的に行わしめていること 等詳しくは記事で)

          「“ひとのみち”本部へ断乎!閉鎖命令下る 神仏道教会所規則により文部省から通達 きょう?正式に手交」(大阪時事新報 1934.10.25 (昭和9))
          http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067468&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
          で、「准祖など十数名が不敬罪の容疑をもって検挙」(おそらく丸山)と記述があります。

          前者の方の記事で「大阪府警察部ではかねて同教団に鋭いメスを入れ、これが解剖に躍起となっていたが、この程完全なる調査がなり警察取締上放任し難き点(先の、夫婦陰陽の道を高調し、未成熟者、老男女疾病を問わずこれを半強制的に行わしめていること が宗教なのか犯罪なのか証明がむつかしい?)」とあることから、警察は組織的犯罪集団とにらんでいたものの逮捕・検挙できずにいた。だが教祖を強姦で立件し、そのほか不敬罪で逮捕して警察は教団を弾圧ということだと思います。

          なので、丸山逮捕の本質は決して「不敬罪」による宗教弾圧ではありません。「不敬罪」はあくまで組織解体の為。変態カルト集団ひとのみちへの、オウム真理教と同じような弾圧なのです。
          オウムで例えると、倫理は上祐が作った光景宗教団体のように思えます。
          丸山も上祐のように、宗教への反省と見直しを基に倫理という新しいものを立ち上げたといっているが、教義はひとのみちを受け継いでいる。

          そもそも大本教の弾圧と違い、教育勅語がその教典の一つになっているひとのみち教団が不敬罪で目を付けられることはない。これはいろいろなところで語られている。

          倫理研究所は「不敬罪」という宗教弾圧で逮捕されたと嘘をつくな!変態カルト集団の一員で逮捕されたんじゃないか!

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  • 受験は神頼みでするものではありません。毎年、神様に所得が上がるように頼んでますが中々上がりません。神様に社長がケチで社員を虐めていると報告しようっと。

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