哲学者の野矢茂樹氏は、著書の中で、「国語力は『愛』だ」と述べています。
それは、相手のことを考え思いやる態度と、何よりも相手とわかり合いたいという気持ちが、高い国語力に結びつくからだといいます。
たとえば、パソコンの操作を相手に説明する場面を考えてみましょう。相手が、自分にとっては当たり前の用語である、「マウス」や「クリック」を知っているだろうかと考えることは、必然的に伝わりやすい説明につながります。
人とわかり合うためには、自分の言いたいことをまとめる力だけでなく、相手のことを考え、思いやる態度が求められます。加えて、他者が発する言葉の意味を読み取ろうとする姿勢と理解力が必要になります。
それは、多くの質の高い文章に接すること、つまり読書をすることで高めることができるのです。
そうした意味で読書は、情報を得るためだけに行なうものではありません。相手の意図を読み取り、思いやる訓練のためでもあるのです。
今日の心がけ◆国語力と思いやりに磨きをかけましよう
芸術は数学である。と言うのを何かで読んだ事が有ります。どういう論理展開だったかは忘れましたが、芸術=?1 ?1=?2 ?2=数学 よって芸術=数学 ?の部分は失念しましたがこのような内容でした。 ?の部分は何だったのかが分かる人います? ググっても出てこないんです。
それはどうでも良いですが、
東大名誉教授の野矢氏が「国語力は愛」だと述べたのは、コレではないかと思います。これを読んだ職場の教養の著者が今回の文章を作ったのだと思います。「大人のための国語ゼミ」と言う本についての対談です。
氏曰く「分かるからつながるのではなくて、必要なのはよく分からない相手と、何とかつながろうとする闇雲な力。これはもう、「愛」以外に言葉がみつからない。」だそうです。
これも、対談相手の難波博孝氏が「相手意識からスタートして、誰かと分かり合おうとすることが、突き詰めれば国語を学ぶ意味の全てだと。これはもう、「愛」ですよね。」と言った事に対しての返しです。
けっこう本文は曲解してますよね。
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