2018/06/20 私の手元にやってくるまで

一つの「もの」が、私たちの手元にやってくるまでに、どれだけの人が関わりを持つでしょうか。
一冊の雑誌を例にあげれば、その制作工程において、執筆者や取材者、カメラマンやイラストレーター、編集者などがいます。
また、それ以外にも、印刷会社や梱包会社、運送会社、書店など、様々な業種の人たちがいろいろな形で関わっています。
このように、一冊の雑誌が完成し、読者の手元に届くまでには、多くの人が携わっています。そのものが辿ってきたルートには、目には見えないつながりができているといえるでしょう。
これは、食料品や衣類、電化製品、文房具など、すべてのものができる過程にもいえることです。
身近にあるものが、どのようにして、自分の元にやってきたのかと考えてみると、そのものに対する愛着が深まるはずです。

今日の心がけ◆ものが辿ったルートに目を向けましよう

この文書に深みが1mmも私には感じられません。0.01mmのオカモトゼロワンかよって位薄いです。

分業化されてるから大量生産された物が低コストで手に入るんです。自給自足の生活を考えてみてください。野菜一つでもコストが半端ない事に気づくと思います。家庭菜園でも良いです。労働時間も全部入れて考えてみてください。スーパーで売っている野菜の10倍から100倍のコストがかかっていると思いますよ。

分業化して専門分野に特化する。これを国単位でやってるんですよ。日本で衣服を作ってもコストかかりすぎでしょ。日本は機械が得意なんですよ。原子炉やプラントや自動車なんですよ。

それを多くの人が携わったから愛着が深まるって結論に持っていくって馬鹿でもしませんって。

2+

1 個のコメント

  • 筆者って、本当に一方方向からしか物事見ないよね。
    多くの人が関わって給料が払われ、経済が回っていくんだよね。
    マジでピントがずれている。
    愛着?馬鹿か?

    1+
  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)