2017/2/26 個人の幸福

宮沢賢治は、『農民芸術概論綱要』において、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と述べています。
これはきれいごとでも何でもありません。なぜなら、私たちは一人ひとりが別々に生きているように見えますが、実は見えない世界ではつながっているからです。たとえていえば、地下茎でつながっている竹のような存在です。
ですから、他人が不幸で、自分だけ幸福だということはあり得ません。これは「他人」を「家族」に置き換えるとわかりやすいでしょう。「家族は皆不幸だけれど、自分は幸せだ」といえるでしょうか。
そして、広く世界に目を向ければ、他国が不幸で、日本だけが幸福ということはあり得ず、動植物が不幸で、人類だけが幸福ということもあり得ません。そうして冒頭の宮沢賢治の言葉につながっていきます。
宮沢賢治の言葉を深く理解し、周りの幸せのために尽くしましょう。それは自分の幸せのためでもあることです。

今日の心がけ◆「他人事」などないことを知りましょう

そんな社会主義的な考えが成功しない事は既にソ連や北朝鮮やキューバをもって証明されたでしょうに。なにを今更という感じかしてならないんですが・・・。

なぜか文学者や役者にそういう人が多いような気がするんですが気のせいでしょうか。

中核・革マル派、赤軍、全共闘といったなんだか香ばしい青春時代を送った方々が当時を懐かしんでいるのでしょうか。

共通の敵を作って、仲間と文化祭前夜を永遠に繰り返している気分は、そりゃ楽しかったでしょうよ。あの時に戻りたいと思うでしょうよ。でも今の人にそれを強制してはいけませんぜ。

おととしの「平和安全法制」を「安保法案」と呼び変えて、当時の安保闘争(日米安全保障条約)のそれに投影し、若者を担いで大騒ぎし、当時を懐かしんで楽しんだ60代のおっさんの姿が見切れてましたがあれと同じですよ。

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1 個のコメント

  • 宮沢賢治の言葉を勝手に解釈してもらっては困る。
    世界中の個人が幸福になったら世界全体が幸福になると言う考え方もできる。

    自分自身が幸せでないのに、他人が幸福でいたら幸せを感じられるのか?
    見えないのに、見えない世界で繋がっていると何故言える?
    「動植物が不幸で、人類だけが幸福ということもあり得ません。」いや、あり得るだろ。

    まず自分自身が幸せであること。
    それが基本。
    話はそれからだ。

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